今回は、鶯谷駅から三ノ輪駅まで、下谷七福神めぐりでした。ガイドマップをご覧ください。
鶯谷駅前から「台東区公認ボランティアガイド」皆さんのガイドで説明を受けながら巡りました。
鶯谷駅北口を出てすぐのところで元三島神社があります。
元寇の弘安の役の際、河野通有が愛媛今治の大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願して出陣し、勝利を得、その帰陣の途中、夢の中での神のお告げにより、武蔵国豊島郡に三島大明神の分霊をお迎えし、上野山内の河野氏の館に遷座鎮祭したことが始まりとのこと。その後、徳川家光の命により遷座し、何度か遷座してこの地にあるとのことです。細かい由緒はホームページをご覧ください。
ここには、「寿老人」がありますが。扉が閉まっていたので、見られませんでした。
元三島神社の境内に、正岡子規の句碑がありました。正岡子規は晩年この地で執筆活動を続けていたので、句碑があちらこちらに建てられています。
元三島神社を出て、言問通りを歩きます。正面にスカイツリーが見えました。
しばらく行くと入谷鬼子母神があります。大田南畝の洒落「恐れ入り谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」で有名ですね。
幟の字にあるように、「鬼」の頭の点がありません。これは。悪神であった鬼子母神が釈迦の導きにより善神になったことに由来しているそうです。
また、門前の道路沿いで開かれる朝顔市も有名です。
ここは「福禄寿」です。
境内の柘榴(ザクロ)の木に実がなっていました。その下に、正岡子規の句碑があります。2句彫ってあって、その一つは
「漱石来る
蕣(あさがほ)や君いかめしき文學士」
子規と漱石は、東京大学予備門で出会った生涯の友です。漱石が新たに文學士になってやって來たという句ですが、子規は病気のために大学を中途退学した経緯があるので、複雑な心境であったのではないかと解説されています。
次は、英信寺の「大黒天」です。こちらは三面大黒天。弘法大師の作と伝えられています。正面に大黒天、向かって右が弁財天、左が毘沙門天、後部に宝珠形光背を付けているユニークな像です。ガラス戸の中にあったので反射してよく撮れませんでした。
4番目は、法昌寺の「毘沙門天」。境内にたこ八郎さんの地蔵があります。
5番目は、弁天院の「弁財天」。寛永初年に備中松山城主の水谷伊勢守が上野不忍池に弁天堂を創建すると同時にその下屋敷であった水の谷の池にも弁財天祠を祀ったとのことです。不忍池の東にあるので「朝日弁財天」と呼ばれます。
6番目は、正宝院の「恵比寿天」。ここは飛不動の通称で知られています。創建間もない頃、住職が本尊の不動明王を持って、大和の国の大峰山に修験道の修行に行ったところ、一夜にして飛び帰り、人々にご利益を授けたとの伝承があります。
ここもガラス戸の中にあったので反射してよく撮れませんでした。
ここから最後の寿永寺に向かう途中、この辺りは竜泉町と言います。樋口一葉が一時期移り住み、この界隈を背景にして「たけくらべ」や「わかれ道」の題材を得たとのことです。
最後7番目は、寿永寺の「布袋尊」です。
近くの東盛公園でガイドさんとお別れ、ここで昼食になりました。
ここからは、三ノ輪駅まで歩いてすぐでした。

