2026年01月11日

下谷七福神めぐり

1月8日にみんなで歩こう会の新春恒例の七福神めぐりに参加しました。
今回は、鶯谷駅から三ノ輪駅まで、下谷七福神めぐりでした。ガイドマップをご覧ください

鶯谷駅前から「台東区公認ボランティアガイド」皆さんのガイドで説明を受けながら巡りました。

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鶯谷駅北口を出てすぐのところで元三島神社があります。
元寇の弘安の役の際、河野通有が愛媛今治の大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願して出陣し、勝利を得、その帰陣の途中、夢の中での神のお告げにより、武蔵国豊島郡に三島大明神の分霊をお迎えし、上野山内の河野氏の館に遷座鎮祭したことが始まりとのこと。その後、徳川家光の命により遷座し、何度か遷座してこの地にあるとのことです。細かい由緒はホームページをご覧ください
ここには、「寿老人」がありますが。扉が閉まっていたので、見られませんでした。

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元三島神社の境内に、正岡子規の句碑がありました。正岡子規は晩年この地で執筆活動を続けていたので、句碑があちらこちらに建てられています。

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元三島神社を出て、言問通りを歩きます。正面にスカイツリーが見えました。

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しばらく行くと入谷鬼子母神があります。大田南畝の洒落「恐れ入り谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」で有名ですね。
幟の字にあるように、「鬼」の頭の点がありません。これは。悪神であった鬼子母神が釈迦の導きにより善神になったことに由来しているそうです。
また、門前の道路沿いで開かれる朝顔市も有名です。

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ここは「福禄寿」です。

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境内の柘榴(ザクロ)の木に実がなっていました。その下に、正岡子規の句碑があります。2句彫ってあって、その一つは
「漱石来る
 蕣(あさがほ)や君いかめしき文學士」
子規と漱石は、東京大学予備門で出会った生涯の友です。漱石が新たに文學士になってやって來たという句ですが、子規は病気のために大学を中途退学した経緯があるので、複雑な心境であったのではないかと解説されています。

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次は、英信寺の「大黒天」です。こちらは三面大黒天。弘法大師の作と伝えられています。正面に大黒天、向かって右が弁財天、左が毘沙門天、後部に宝珠形光背を付けているユニークな像です。ガラス戸の中にあったので反射してよく撮れませんでした。

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4番目は、法昌寺の「毘沙門天」。境内にたこ八郎さんの地蔵があります。

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5番目は、弁天院の「弁財天」。寛永初年に備中松山城主の水谷伊勢守が上野不忍池に弁天堂を創建すると同時にその下屋敷であった水の谷の池にも弁財天祠を祀ったとのことです。不忍池の東にあるので「朝日弁財天」と呼ばれます。

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6番目は、正宝院の「恵比寿天」。ここは飛不動の通称で知られています。創建間もない頃、住職が本尊の不動明王を持って、大和の国の大峰山に修験道の修行に行ったところ、一夜にして飛び帰り、人々にご利益を授けたとの伝承があります。

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ここもガラス戸の中にあったので反射してよく撮れませんでした。

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ここから最後の寿永寺に向かう途中、この辺りは竜泉町と言います。樋口一葉が一時期移り住み、この界隈を背景にして「たけくらべ」や「わかれ道」の題材を得たとのことです。

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最後7番目は、寿永寺の「布袋尊」です。

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近くの東盛公園でガイドさんとお別れ、ここで昼食になりました。

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ここからは、三ノ輪駅まで歩いてすぐでした。
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2025年03月29日

横浜三渓園から元町を巡る

3月27日にみんなで歩こう会に参加しました。
今回は、国分寺からは、ちょっと遠出して、横浜三渓園と元町界隈を巡りました。

三渓園へは、根岸駅からバスに乗車。三渓園南門色口から入りました。
南門入口の外は、本牧市民公園内で、その中に「上海横浜友好園」があります。上海横浜友好園は、横浜上海友好都市提携15周年を記念し、また横浜市制100周年、開港130周年を祝し、平成元年に上海市から本市に寄贈された中国江南様式の庭園と建築です。

上海横浜友好園の側から三渓園を眺めた写真です。地形がよく分かります。

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三渓園は、明治時代末から大正時代にかけて、製糸・生糸貿易で財をなした実業家であり茶人でもある原三渓が作り上げた日本庭園です。全国各地から貴重な建築物が移築され、そのうち10件が重要文化財に指定されています。
詳しくはこちらをご覧ください。
園内のマップもご覧ください。(マップ建築物の説明

三渓園の中をガイドさんの説明を聞きながら回りました。

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三渓記念館の近くの御門から内苑に入りました。

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池の向こうに臨春閣を望んでいます。

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聴秋閣を見ながら回ります。

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苔むした庭にカタクリが一輪咲いていました。

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海岸門を出て、ガイドさんとお別れ。大池の近くまで来て、昼食です。

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多くの外国人観光客が来ていました。

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池の畔の桜はまだ咲き始めで、見頃はこれからでした。

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歩道の近くの草地にツクシが群生して芽を出していました。

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大池をぐるっと回って、正門から出ました。
正門近くから大池を見た景色です。

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小舟にウが止まっていました。ウミウでしょうか。

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三渓園からバスに乗り、元町に出ました。
石川町駅の側から長い坂を上ります。

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山手本通りに出ました。

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エリスマン邸で休憩です。
この一角は西洋館が多く残っていて、人気のスポットです。
横浜山手西洋館マップをご覧ください。

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港の見える丘公園に向かいます。
このあたりの桜はきれいに咲いていました。

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港の見える丘公園に着きました。

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最後に大佛次郎記念館を見学。噴水の向こうに見える、おしゃれな建物です。

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帰りは、アメリカ山公園からエスカレーターで下り、元町通りをぶらぶら歩いて、石川町駅に着きました。
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2025年01月14日

千寿七福神めぐり

1月9日にみんなで歩こう会の新春恒例の七福神めぐりに参加しました。
今回は、北千住駅の周辺の界隈の千寿七福神めぐりでした。
千寿七福神の会が作成したガイドマップをご覧ください

北千住駅を西側に出て左側に、反時計回りに歩きます。
1番目は、氷川神社の「弁財天」です。

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ここから少し西に行って、旧日光街道に入ります。北千住のあたりは、江戸時代に日光街道の千住の宿があったことろです。芭蕉旅立ちの地としても有名です。
昔の街並みを示した絵がありました。説明板によると、千住宿は、江戸時代末の人口が約1万人で、第2位の品川宿の6,300人を大きく引き離して、第1位だったそうです。その理由は、宿場であったとともに、近郊の農村からの生産物が集まる市場であったためだそうです。

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辻に道標がありましたが、「旧日光道」と彫られているはご愛敬でしょうか。

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路地を入ってすぐの稲荷神社に「福禄寿」がありました。

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3番目は、八幡神社の「毘沙門天」です。

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次は、千住神社です。千住神社は約一千年前に創建された、大きな神社です。入口に足立区教育委員会神社(氏子会か)の二つの由緒書きがありました。詳しくはそちらをお読みください。

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参道の中間あたりに「不屈のイチョウ」という老木がありました。第二次大戦の空襲で神社が焼失した時、このイチョウも燃えましたが、「コゲ跡を刻み復活して、今も、生き続けています」ということです。

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ここは、「恵比寿天」です。

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近くの千住中居町公園でお昼時になりました。

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公園の中に「大正記念道碑」が移設されて設置されています。
説明板によると、公園の前を通る「大正新道」敷設を記念して建立されたものらしいですが、碑文を一時期住んでいてゆかりのある森鴎外が書いています。頼まれてしかたなく書いたと正直に述べている面白い碑文です。説明板がありました。ご覧ください

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桜が咲いていました。

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ここからは、墨堤通りに沿って、北の方に向かいます。
荒川土手の近くまで来ました。
5番目は、本宿神社の「寿老人」です。ぼけ封じとありました。何故だか皆さん熱心に拝んでいるようです。

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ここからは、荒川土手に沿って東に向かいます。
6番目は、氷川神社の「布袋尊」です。

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神社の境内の入口に「旧千住橋の橋柱」が立っていました。橋架け替えの際、記念としてここに移されたものだそうです。説明板がありました。

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旧日光街道に戻って来ました。このあたりは「宿場町通り」と名付けられています。

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ところどころにある古い家には、説明があります。その一つ、「横山家」には、こんな説明説明図がありました。

最後は旧日光街道の近くにある、千住本氷川神社の「大黒天」です。
大黒天は、旧社殿の中に鎮座しています。

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境内に「千寿七福神の碑」がありました。ここが元締めなのかな。

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境内には「ラジオ体操発祥之地」なる碑もありました。なんで?と思って色々調べてみたら、「昭和27年、近くにある小学校の校外活動のひとつとして夏休みの間、こちらの神社の境内を貸し出してラジオ体操をやっていたが、夏休みが終わっても予想以上に人が集まったので年中無休でラジオ体操をやることになった。それが30年間も続いた記念に『年中無休のラジオ体操を足立区で最初に始めた場所』として石碑が建てられた」のだそうです。本当の意味の発祥の地ではなさそうです。

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ここからは、北千住駅まで歩いてすぐでした。
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2024年12月06日

堀合遊歩道~グリーンパーク遊歩道から武蔵野中央公園へ

12月5日に国分寺市にふるさとをつくる会の「多摩に歩く会」がありました。
JR三鷹駅から堀合遊歩道~グリーンパーク遊歩道を武蔵野中央公園まで歩きます。その後、NTT技術史料館を見学して、西武新宿線東伏見駅まで、約7kmのコースでした。
ウォークマップをご覧ください。

三鷹駅北口を出たところに「国木田独歩詩碑」があります。碑面には武者小路実篤の筆による「山林に自由存す」の文字が刻まれ、独歩のレリーフがつけられています。

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線路に沿ってしばらく歩きます。途中、太宰治が線路を眺める写真で有名な陸橋の下を通って、またしばらく歩くと、「堀合遊歩道」の入口に着きます。
武蔵野中央公園まで続く遊歩道で、玉川上水を越えて武蔵野市に入ると「グリーンパーク遊歩道」と名前が変わります。
戦時中の戦闘機のエンジン工場であった中島飛行機の工場への引込線跡ですが、正確に言うと、戦時中の引込線は武蔵境駅からで、戦後に跡地に建設された野球場への分岐線が三鷹駅からとなったので、「堀合遊歩道」はその部分となります。
「グリーンパーク遊歩道」の途中の説明板に分かりやすい図がありました。ご覧ください

遊歩道の途中や武蔵野中央公園には戦時中や戦後の一時期の歴史を刻む遺構があります。それらを紹介するホームページがありましたので、ウォークマップと照らし合わせてご覧ください

「堀合遊歩道」を歩きます。イチョウの黄葉が日光に照らされて輝いていました。

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玉川上水のところに来ました。引込線橋台跡の遺跡があります。

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ここからは「グリーンパーク遊歩道」と名前が変わります。

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ビワの花が咲いていました。

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武蔵野中央公園に着きました。ここで昼食です。12月になりましたが、風がなく、穏やかで、外での食事も気持ちの良いものでした。

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食事の後は、「爆撃照準点」の遺構を見学しました。ここに、中島飛行機と爆撃の歴史の説明がありました。ご覧ください。 説明1 説明2

「武蔵野グリーンパーク野球場跡」を見てから、「NTT技術史料館」に向かいました。
電信・電話の黎明期から、現代の最新技術まで、ガイドさんの説明付きで、詳しく学ぶことができました。

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武蔵関公園の中をぐるっと回って、東伏見駅に向かいました。
富士見池という細長い池があります。石神井川が公園の外周を回るように流れていて、公園全体が、石神井川増水時の調節池の機能を持っています。嘗ては、湧水が池の水源でしたが、現在は深井戸からの揚水に頼っているそうです。

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この季節、池には色々な冬鳥が見られる筈ですが、今日は、キンクロハジロしか見られませんでした。
面白い名前のカモですが、目が金色、頭や背、胸、尾、翼の上面が黒、翼に現れる帯が白ということで羽白ガモ、合せて「キンクロハジロ」となったようです。

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2024年11月20日

下町で平和や自然、歴史を考える

11月14日に国分寺市にふるさとをつくる会の「ふるさとの自然と歴史を訪ねる会」がありました。今回は、江東区の各所を電車とバスを乗り継いで巡る、いつもとは違った趣向のウォークでした。

新木場駅に集合し、まず、夢の島公園に向かいました。
夢の島について、年配の方は「ゴミの島」のイメージが残っているかもしれません。現在は、素晴らしい緑の公園に変貌しています。
夢の島の歴史について、よろしかったらこちらをお読みください。

まず、夢の島公園の中にある「第五福竜丸展示館」を見学しました。
第五福竜丸は、ビキニ環礁での水爆実験で被災した後、改造されて、しばらく東京水産大学の練習船として使われていましたが、1967年(昭和42)に廃船となって、夢の島に廃棄されました。それを知った市民が声を上げ、1976年(昭和51)東京都により展示館が建てられました。
第五福竜丸が被災した水爆の威力は、広島の原爆の1千倍だったそうで、そのような実験が大気中でおこなわれていたことに驚くとともに、人間の浅はかさを感じないではいられません。

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展示館の外には、第五福竜丸のエンジンが展示されていました。
説明板がありました。こちらをご覧ください

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展示館から夢の島熱帯植物館に向かいました。植物館の入口近くにマルバデイゴの赤い花が咲いていました。夢の島は海に近いためか、南国情緒を漂わせる樹木が多く植えられています。

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熱帯植物館に入りました。

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熱帯らしい植物をいくつか紹介します。
これは、サガリバナです。

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こちらは何でしょう。調べてみたら、パキスタキスと言うらしい。中南米原産の熱帯性の花木です。別名、鬱金珊瑚(ウコンサンゴ)とも呼ばれます。

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植物館の前庭で昼食をとりました。ハロウィンのなごりがまだ残っています。

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前庭に植えられているオリーブの木を良く見ると、実が成っていました。

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新木場駅に戻って、JR京葉線で越中島まで行き、そこから歩いて、門前仲町の深川不動尊をお参りました。
深川不動尊の始まりは、江戸時代に、成田不動の「出開帳」がここで開かれていたことによります。明治になって、成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」が建てられました。正式名称は、「成田山 東京別院 深川不動堂」です。

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その隣は、富岡八幡宮です。「江戸最大の八幡様」です。

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富岡八幡宮参道の入口近くに、伊能忠敬の像がありました。隠居後にこの近くに住んでいたそうです。

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ここから、地下鉄とバスを乗り継いで、最後の目的地は、「東京大空襲・戦災資料センター」です。当センターは、東京空襲の資料をまもり、戦争の体験を語り継ぐための民間の施設です。早乙女勝元氏が初代館長を務めました。
ここでも、戦争が人間が人間を人間として見られなくなる恐ろしさに、やるせない気持ちが募りました。

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2024年06月19日

せせらぎ緑道から長池公園へ

6月17日に国分寺市にふるさとをつくる会の「多摩に歩く会」がありました。
京王相模原線京王堀之内駅から、せせらぎ緑道を長池公園まで歩き、長池公園の中を散策してから、清水入緑地を抜け、京王相模原線南大沢駅まで歩くルートです。
京王堀之内駅を出てすぐのところにせせらぎ緑道の入口があります。せせらぎ緑道の水流の水源は長池公園の溜池で、そこからの流れは人工的ではありますが、遊歩道が流れに沿って続いていて、変化があって気持ちの良い散策路です。

せせらぎ緑道の下流側の入口から散策路に入ります。

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散策路の歩き始めは、緑豊かな気持ちの良い道です。

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ミズキらしい木に花が咲いていました。調べてみたら、クマノミズキのようです。ミズキとの違いは、葉が対生であることと、花の時期が1ヶ月程遅いことです。「クマノ」は「熊野」で、熊野地方で最初に発見されたからだそうです。

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途中、洋風の住宅が並ぶ人工的な流れを歩きます。アジサイがきれいでした。

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再び緑豊かな道になりました。

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初夏なのに紅葉しているような鮮やかなモミジが目に入りました。名札に「ノムラモミジ」と書いてありました。イロハモミジの園芸品種です。「ノムラ」は、野村さんではなく、「濃紫」と書きます。葉の色は濃い紫だということです。

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せせらぎ緑道から長池公園に入りました。
長池公園からでるところの水路は、洪水時の調整池の役割を持っています。そこに架かるレンガの橋台の橋は、長池見附橋です。1993年に四谷見附橋を移設して復元したものです。詳しくはこのサイトをご覧ください。
説明のブロックに大正8年頃の四谷見附橋の写真がありました。

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橋をくぐって階段を上り、橋の上に出ました。橋の上から上流側を撮った写真です。堰堤の向こうは、「築池」という溜池です。

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この日は午前中から気温が上がり蒸し暑く、皆さん、少々バテ気味だったので、築池の近くの「長池自然館」で少し早い昼食にしました。エアコンの効いた館内で食べることができたので、生き返りました。

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自然館の前に面白い若い実がついた木がありました。名札に「オオバヤシャブシ」とありました。ハンノキの仲間です。漢字で書くと「大葉夜叉五倍子」。「夜叉」は果穂がゴツゴツしている、「五倍子」は黒い染料になるということだそうです。

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再び築池の堰堤に戻りました。

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堰堤の端の遊歩道の入り口に公園のマップがありました。
築池は、農業用に作られた溜池で、昔は下に水田が広がっていました。築池と細い流れで繋がった上流の奥に「長池」があります。

築池を左回りに「つくいけの道」を歩きます。

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歩いた先に、里山エリアがあります。ボランティアの人たちが水田で稲を育てています。

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雑木林トレイルに入るところに炭焼き小屋があります。

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トレイルのあちらこちらにホタルブクロが群生していました。

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雑木林を抜けて谷に下りると、長池があります。植生保護のため、フェンスで囲って入れないようになっています。

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すぐ傍に「浄瑠璃姫の碑」があります。長池に身を投げた浄瑠璃姫の悲しい伝説があります。

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ここから「築池」へと流れる小川に沿って「ながいけの道」を歩きます。
カタクリの群生地があることで有名ですが、今は季節外れです。
道端に「クララ」の花が咲いていました。外来種のような名前ですが、そうではなく、根を噛むとクラクラするほど苦いことから、眩草(くららぐさ)と呼ばれ、これが転じてクララと呼ばれるようになったのだそうです。オオルリシジミという蝶はこの草しか食べないので、クララの減少でオオルリシジミも減少することが懸念されているそうです。

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長池自然館の近くまで来て、坂を上り、上の道を歩きます。

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オカトラノオが群生していました。

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帰りは、清水入緑地を抜けて、南大沢駅に出ました。

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2024年06月04日

狭山池から狭山丘陵・六道山公園を歩く

5月29日に国分寺市にふるさとをつくる会の「多摩に歩く会」がありました。
JR八高線の箱根ヶ崎駅から、狭山池公園、郷土資料館・耕心館を回り、六道山公園の展望台から里山民家に下るルートです。ウォークマップをご覧ください。

箱根ヶ崎という地名がどういう由来でついたか不思議に思う方が多いかもしれません。郷土資料館の展示にある説明では「16世紀半ば頃の文書には「箱根賀崎」がみられ、これが最も古い記録」とあるだけで、由来については記載がありません。
箱根権現が祀られている「狭山神社」の由来の記述には「箱根大神は永承年間(1046-1053)源義家の奥州征伐の折、筥の池(狭山池)辺に陣営、箱根権現の霊夢に感じ、當地に勧請、凱旋の時に奉賽したと謂われる」とあります。
狭山池は昔、筥の池(はこのいけ)と呼ばれていたので、何らかのつながりがあるかもしれません。

箱根ヶ崎は、江戸時代には青梅街道と日光街道が交わる宿場町として栄えました。
郷土資料館に説明がありました。ご覧ください

前置きはここまでにして、ウォークに出発です。

箱根ヶ崎駅から北に向かうと、東京環状道路に出ます。少し行くと残堀川です。工事中なのは、洪水対策の放水路か何かを作っているのでしょうか。向こうに狭山池公園が見えます。

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残堀川を上流に向かって歩きます。

狭山池公園に着きました。狭山池は、現在は残堀川の水源の池ですが、その昔は繋がっていませんでした。玉川上水が開削された翌年の承応3年(1654)に玉川上水の助水とするために接続されました。説明板がありましたのでご覧ください。

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狭山池には、「蛇喰い次右衛門伝説」があります。公園の入口に、蛇に絡まれた次右衛門の石像がありました。

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狭山池は、三つの池に分かれています。
池の間の小道を通って反対側で出ました。「釣り池」には、釣り人が何人かいました。

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「釣り池」の縁を歩きました。

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狭山池公園を東に抜け、かたくりの里の中を通り抜けました。今は、カタクリの季節ではありませんが、山の西側の斜面全体にカタクリが群生していて、花が咲く3月末の頃には、大勢の人で賑わいます。

かたくりの里を抜けたところ、日光街道を北に行くと、郷土資料館耕心館があります。
郷土資料館の前庭にある、大ケヤキが迎えてくれます。樹齢300年以上だそうです。隣にある耕心館は、かつては豪農・細渕家の母屋でした。このケヤキはその庭に植えられていたものです。

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耕心館の庭は山野草園になっています。四季折々、色々な草花を楽しめます。咲いていた花は、この記事の最後に纏めて紹介します。

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郷土資料館の後は、いよいよ狭山丘陵に入ります。
狭山丘陵の西の端の西口広場から山の裾野を歩き、暫く歩いたところで、登りになります。

途中の展望広場で小休止。北西の奥多摩の山々を眺望できますが、左右に木が茂っていて、角度が狭くなっているのが残念です。

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更に登って、三角点広場に着きました。登りはここまで、あとはなだらかな道です。

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狭山懸橋を渡ります。この橋は、狭山谷という谷戸に懸かっていて、「狭山谷の天狗」という昔話が伝わっているそうです。内容はこちらをご覧下さい

少し行くと、「六道の辻」に出ます。
この場所は、古くから交通の要衝で、幾筋もの道がここで交わっていました。そこで、「六道の辻」と呼ばれるようになったそうです。「六道山」の名前の由来にもなりました。
庚申塚があります。写真は、2月末の下見の時のものです。
説明板がありました。ご覧ください

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六道山公園の展望台に着きました。

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展望台から下を見た写真です。広場のところどころにベンチがあって、ここで昼食になりました。

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展望台からの眺めは最高です。東側にはスカイツリーが見えます。西側には富士山が見えるはずですが、雲に隠れてしまい、残念でした。

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ここからは、尾根道を東に行き、猿久保から「里山民家」のある谷戸に下りました。
里山民家へようこそ」の看板が出迎えてくれました。里山民家は、東京都が荒れ果てていた谷戸の整備して、平成12年6月にオープンした施設です。都民の憩いの場や野山北・六道山公園ボランティアの活動拠点施設として活用されています。

里山民家の上の水田は「岸たんぼ」と呼ばれ、ボランティアが稲を大切に育てています。

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里山民家の母屋の中で一休み。今日の行程は、ほぼ終了です。

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ここから徒歩10分程の「岸バス停」からバスに乗って帰路につきました。

「岸」と言えば、江戸時代の初めに、砂川の新田開発に乗り出した村野三右衛門と小川村の開発に乗り出した小川九郎兵衛は、いずれも岸村から出ています。
武蔵野の新田開発のパイオニア2人が、同時期に出現した、岸村はどんなところだったのかと思いを馳せながら、歩きました。

最後に耕心館の山野草園で見た花を紹介します。

イワタバコ(岩煙草)です。通常の花の色は 紅紫色です。白い花もありました。白花が一足早く盛りを迎えているようです。名前は、日の当たらない湿った岩場に生え、タバコに似た形の葉だからだそうです。

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チャボシライトソウと、名札にありました。小型のシライトソウの意味です。

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ハマボッス(浜払子)です。海岸に生育する海浜植物。「払子」とは、お坊さんが儀式の作法で用いる、ハタキのような仏具のことです。

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八重のドクダミがありました。

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エーデルワイスが咲いていました。和名は、セイヨウウスユキソウ(西洋薄雪草)ですが、エーデルワイスと言えば、アルプスを思い浮かべますね。

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コキンバイと、名札にありました。バラ科ですが、キンポウゲ科のキンバイソウ(金梅草)に似ていて、小型だから、コキンバイ (小金梅)だそうです。

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キョウガノコ(京鹿の子)が咲いていました。シモツケソウの古くからの栽培種です。花の様子が京都の絞り染め「鹿の子絞り」に似ているからだそう。

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2024年05月29日

『五日市憲法草案』ゆかりの地を巡る

5月21日に国分寺市にふるさとをつくる会の「ふるさとの自然と歴史を訪ねる会」がありました。今回は、武蔵五日市の自然を楽しみながら、「五日市憲法草案」ゆかりの地を巡るウォークでした。

「五日市憲法草案」は、明治14年に深澤権八と千葉卓三郎らが中心となって起草した私擬憲法草案です。昭和43年に、当時東京経済大学教授であった色川大吉氏らによって、深沢家の土蔵から発見されました。「司法、立法、行政の三権分立が明確に規定され、国民の権利に多くの条文がさかれているなど、自由民権思想に溢れた非常に民主的な内容であり、他の民間草案の中でも屈指」だということです。

武蔵五日市駅の北側から北西約3kmのところにある「深沢家屋敷跡」に向けて歩きます。あきる野市のホームページにガイドマップがありました。ご覧ください

武蔵五日市駅の近くから、「深沢家屋敷跡」の近くの「深沢小さな美術館」まで、森の妖精ZiZiが案内してくれます。

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ここから「深沢小さな美術館」まで1本道、植物観察をしながら歩きました。
クリの花はまだ蕾です。ひょろっと伸びて咲くのは雄花。雌花は葉の付け根にあってあまり目立ちません。

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ところどころにZiZiがいて、案内してくれます。

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ヤマグワの実が赤くなってきました。

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ウリノキの花が咲いていました。6枚の花弁が反り返り、雌しべと雄しべが飛び出していて、ユニークな形です。

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スギの、雌花と雄花と実が1本の木に同時についていました。
花は今年の残りか来年の準備か、実は昨年の残りか。何だかよく分かりません。

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クリかなと思う木に虫こぶが沢山付いていました。
ネットで調べたら、「クリタマバチ」の虫こぶのようです。以下は、ホームページの記載引用。かなりの厄介ものらしい。
「クリタマバチは戦前に日本軍が中国から持ち込んだクリの木について来たものとされ、クリの新芽に卵を産み付け、幼虫はふ化すると新芽の中に潜り込んで虫こぶを作ります。虫こぶはクリの雄花や雌花がつくところにできるので花が育たないので栗の実がならず、クリの農家にとっては恐ろしい害虫なのだそうです。
クリタマバチを撃退する方法として、耐性品種や防虫剤が使われましたが、十分な効果が無く、今は天敵のチュウゴクオナガコバチを中国から導入して放虫して効果を上げているようです。」

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丁度中間地点の穴澤天神社で休憩です。

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深沢小さな美術館」に着きました。ZiZiが出迎えてくれました。

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深沢小さな美術館は、造形作家の友永詔三氏が、小さな古民家を自身の手で改築した、手作りの美術館です。カフェが併設されていて、ゆっくりくつろげます。
美術館を見学して、カフェで昼食をとりました。

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木の枝にモリアオガエルの卵が泡のように付いていました。下は、大きな鯉が泳ぐ池です。おたまじゃくしの運命やいかに。

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友永詔三氏は、NHK連続人形劇「プリンプリン物語」のキャラクターを製作したことで有名です。

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「深沢家屋敷跡」は、ここから歩いてすぐです。ここの土蔵から「五日市憲法草案」が発見されました。
説明板がありました。こちらをご覧ください
母屋は、小金井市の思耕園に寮として移築されたそうです。写真がありました

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白い小さな花が木の枝に咲いていました。カナメモチのようです。

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ここからは、元の道を戻ります。
途中にセッコクが咲いているのに気づきました。生えている木の幹に付いているのは、初めて見ました。

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中学校の校庭の端に「五日市憲法草案碑」があります。
説明板がありました。こちらをご覧ください

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向かい側の市役所五日市出張所の入口には、萩原タケ女史像があります。
萩原タケ女史は、この地で生まれ、日本看護婦協会初代会長を務め、第一回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞した、郷土の偉人です。

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五日市出張所の3階には郷土の歴史について展示があります。
見学してから、「五日市勧能学校跡」に行きました。
勧能学校は、明治5年の学制発布に伴い、五日市村に作られた学校で、現在の五日市小学校の前身です。今は、東町太子堂があるだけで、面影はありません。
説明板がありました。こちらをご覧ください

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2024年04月21日

小名木川周辺を歩く

4月18日にみんなで歩こう会に参加しました。今回は、江戸時代からの運河の歴史を訪ね、小名木川とその周辺を歩きました。

都営新宿線の東大島駅で江東区のまちあるきガイドさんたちが迎えてくれました。

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東大島駅の駅前にある黄金の郵便ポスト。これは、東京オリンピックのゴールドメダリストを顕彰して設置されました。

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駅の南口には青龍のモニュメントがあります。江東区の東西南北の4か所に四神のモニュメントが設置されています。

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小名木川の北側にある宝塔寺に来ました。慶長15年(1610)に創建された古いお寺です。ここには、「塩なめ地蔵」があります。小名木川や行徳道を通る商人たちが、航行安全、商売繁盛を願い、塩を供えたのが由来とされています。
供えられた塩を「いぼ」に塗るといぼが取れるとも言われ、「いぼ取り地蔵」とも呼ばれています。

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小名木川沿いを歩きます。

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「塩の道橋」から旧中川方面を望みます。「番所橋」が見えます。

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仙台堀川公園に入りました。公園の入口にヒトツバタゴの花が咲いていました。「なんじゃもんじゃの木」として有名ですね。

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小名木川の南側にある上妙寺に来ました。砂町の荻新田を開発した荻家を開基とする寛永2年(1625)に創建されたお寺です。鬼子母神で有名です。

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寺の入口に「鬼子母神道道標」が建っています。もともと小名木川沿いに建てられていたものがここに移設されました。

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近くの因速寺にも寄りました。もとは江戸市中にあったものが、関東大震災により、昭和2年にここに移転しました。
江戸時代に野菜の促成栽培で季節より早い野菜を将軍家に献上した松本久四郎や歌舞伎の「め組の喧嘩」で有名な力士の四ツ車大八の墓があります。

荒川ロックゲートに来ました。水位の異なる荒川と旧中川の間を船が運航できるようにするための水門です。

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ロックゲートの屋上は展望台になっています。荒川の下流方面の眺望です。

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荒川ロックゲートでガイドさんとお別れ。我々は、北側の大島小松川公園に向かい、昼食です。ここには、「旧小松川閘門」の遺構があります。

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園内に不思議なモニュメントもありました。

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昼食後は、「中川船番所資料館」に寄りました。

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職員に展示の説明をしていただきました。

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東大島駅に戻って、今日の行程は終了です。
posted by m.ono at 22:51| 歩く会参加日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月31日

トトロの森から狭山湖畔を散策

3月28日にみんなで歩こう会に参加しました。
今回は、桜を見ながら狭山湖畔を歩くのが散策の目玉でしたが、今年は開花が大幅に遅れ、東京では開花宣言が出てない状態で、残念ながらお花見とはなりませんでした。

西武線の西武球場前駅からトトロの森に向かって歩きます。
1990年にナショナル・トラスト活動として狭山丘陵の自然を守る活動が始まりました。1991年に「トトロの森1号地」が誕生し、2023年11月に63号地まで広がりました。

トトロの森に入りました。

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あずまやの周辺で少し早いお昼になりました。

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堀口天満天神社にお参りして、トトロの森とお別れです。

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狭山湖(山口貯水池)の土手まで来ました。桜はまだ殆ど咲いていません。

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堰堤から狭山湖を眺めました。

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水鳥が、湖面に浮かんで、水に潜って、暫くすると上がってきて、また潜ってを繰り返していました。カイツブリのようなのですが、色が違うので、何でしょう。

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堰堤を歩いて、山口観音まで来ました。枝垂れ桜がきれいに咲いていました。

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こちらは、濃いピンク色の桜です。

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西武球場前に戻って、今日のウォークは終わりです。

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歩いたルートの道端に咲いていました。
ヒメオドリコソウが咲いていました。今年初めて見つけました。

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その傍らには、ホトケノザ、ナズナ、オオイヌノフグリが咲いていました。
いずれも、道端に咲く野草の定番です。

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タチツボスミレが咲いていました。

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これは何でしょう。ヒメカンスゲ(姫寒菅)でしょうか。

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posted by m.ono at 22:30| 歩く会参加日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする