2019年12月19日

玉川上水&分水網遺構100選ウォーク(第3回)

「玉川上水・分水網を生かした水循環都市東京連絡会」が「市民が選ぶ玉川上水と分水網の関連遺構100選」として2018年12月のシンポジウムで選定した地点を実際に歩いています。12月19日の第3回は、玉川上水駅から玉川上水に沿って下流へ歩きました。今回のルートです。

20191219_josui-walk_01.jpg

① 小平監視所【100選】
玉川上水駅から玉川上水の左側を歩きました。しばらくすると、東京都水道局の小平監視所があります。昭和38年9月に運用が始まりました。ここから玉川上水の水は、ほぼ全量が東村山浄水場に地下の導水管で送られます。現地に説明図がありました。

20191219_josui-walk_w_02.jpg

② 上水小橋(清流復活) 【100選】
小平監視所のすぐ下流は、玉川上水の底まで降りる遊歩道になっています。玉川上水は、ここから先は、高度処理された再生水が流れています。設置されている説明図の言葉を借りると、「新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止により、昭和40(1965)年以降、小平監視所より下流は水の流れが途絶えました。その後、多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水を利用した東京都の「清流復活事業」によって、昭和61(1986)年8月から、玉川上水の小平監視所より下流側に再び清流がよみがえりました。」とあります。
下の右下の写真にあるように玉川上水の底から両岸の法面の状況が良く見えます。南向きと北向きで日射の影響が異なるので、崩落のメカニズムが違ってくるようです。詳しくはこちらの資料に解説があります。

20191219_josui-walk_w_04.jpg

20191219_josui-walk_w_06.jpg

参考資料:
玉川上水今むかし~第10話 清流の復活~(武陽ガス)

ここからずっと玉川上水の左側を歩きます。
しばらく行くと、左側に清掃工場があります。その東側に『こもれびの足湯』があり、市民に開放されています。地下250メートルから汲み上げた天然水を焼却炉の余熱を利用して温めているそうです。ウォーキングの人たちが一休みしています。今は工事のため休場中でした。下の写真は11月に撮ったものです。

20191219_josui-walk_08.jpg

20191219_josui-walk_w_09.jpg

③ 新堀用水(胎内堀)【100選】
新堀用水は、玉川上水の北側に沿って喜平橋付近まで流れています。小平監視所に設置されている説明図に明示されているように、小平監視所から直接取水しているので、多摩川の水が流れています。
新堀用水は、明治3年に開削されました。明治3年3月、分水口改正(統合)が発表されたことによります。主として玉川上水の通船計画に基づくもので、野火止、小川から千川まで8分水の取水口が、新堀用水に統合されました。後に、野火止用水と千川用水は分離されました。同時期に、南側の分水口も砂川用水に統合されています。
『こもれびの足湯』から少し歩くと、鉄柵が現れます。この付近の新堀用水は、胎内堀と言われるトンネルの中を通っています。鉄柵の中に直径は1メートルぐらいの縦穴があり、胎内掘り工事をした人が出入りしたり、土を運び出した穴だそうです。鉄柵は4ヵ所あるそうですが、現在、法面の保全工事を行っており、1ヶ所しか覗けませんでした。新堀用水は小川橋の手前で開渠になります。
小川橋の際に説明図があります。

20191219_josui-walk_w_11.jpg

20191219_josui-walk_w_13.jpg

参考資料:
小平市中央公民館公開学習会~新堀用水の話
新堀用水(川のプロムナード)

④ 小川橋(石橋供養塔)【100選】
小川橋の際に石橋供養塔があります。天保3年(1842)の銘があります。小川橋は、江戸時代、小川村と砂川村を結ぶ重要な橋でした。木製の橋から石橋に架け替えた時の記念碑として建てられたと考えられます。この供養塔には東西南北、右 江戸みち、左 所沢・山口、と刻まれており、道標も兼ねています。

20191219_josui-walk_w_15.jpg

しばらく玉川上水と新堀用水の間の樹木の中の小道を歩きます。ところどころで新堀用水は地下に潜ります。

20191219_josui-walk_w_17.jpg

⑤ 水車橋(小島水車遺構)【100選】
水車橋は、昭和60年に、新小川橋に平行して架設された歩行者専用の橋です。明治39年に、新小川橋の脇の小島精米店が名主小川家から製粉精米用に水車を譲り受けて、昭和25年頃まで稼動させていたことから、水車橋の名前が付けられました。この水車は、店の名前をとり、「小島水車」と呼ばれていました。
用水が平地を流れているため、水位を稼ぐために遠くから横の水路に流したり、本流に対し 緩い勾配の「回し掘り」を作ったり、また、水車の水輪の途中に横から掛ける「胸掛式」 を採用したり、工夫されていたそうです。
小島精米店は、今はコンビニになっており、その裏手の樹林地の中に水車の土台の一部が痕跡として残っています。2007年に書かれたホームページ「小平市見どころ紹介」には、「敷地内の北側に水車小屋があり、その廃屋も残っている。」と記述されています。

20191219_josui-walk_w_19.jpg

参考資料:
水車通り(玉川上水の辺りでハナミズキと共に)

西武国分寺線を渡ると、左側に小平中央公園があります。線路を渡ってすぐの新堀用水には水辺に降りる階段があります。今は冬なので誰もいませんが、夏には子供が遊ぶ風景が見られるのでしょうか。このあたりの新堀用水はきれいに整備されています。

20191219_josui-walk_w_21.jpg

⑥ 久右衛門橋(船溜跡)【100選】
小平中央公園から下流に少し歩いて、府中街道に架かる橋が久右衛門橋です。寛政3年(1791)にまとめられた『上水記』にも記されている古い橋で、当時の名主・久右衛門に因んで名づけられたとされています。現在の橋は昭和7年に架けられたものです。
久右衛門橋の左岸には高札場があったとされています。また、下流50メートルほどの南岸の法面が窪んだ位置に、久保河岸と呼ばれる船溜りの跡があるとのことですが、草木が茂っていてよくわかりません。明治3~5年に玉川上水に物資輸送の船が運行した際の船着場で、小川村の荒井清五郎が『久保河岸』の屋号で経営していたとのことです。

参考資料:
小平市見どころ紹介
久右衛門橋(玉川上水今昔(庄司徳治コレクションより))

府中街道を渡り、津田塾大のキャンパスを左手に見て、過ぎる頃に、上水堤に白い建造物があります。この地下を横断している武蔵野線のトンネルの作業抗で、玉川上水と新堀用水からの漏水を汲み上げるポンプが設置されており、パイプを通して新堀用水に放水しているそうです。

20191219_josui-walk_23.jpg

この先、少し歩くと鎌倉橋があります。その昔、この付近を鎌倉街道が南北に横切っていたとされることから橋の名になったとか。橋より北側の道は現在も鎌倉街道と呼ばれています。

20191219_josui-walk_24.jpg

⑦ 小川水衛所跡
そのまた少し下流、玉川上水が五日市街道と接する場所の近くに小川水衛所跡があります。ここは、江戸時代には水番所として水番人が常駐して、玉川上水の管理をおこなっていました。明治維新後は、水衛所として、淀橋浄水場が廃止され玉川上水の通水が停止するまで、運用されていたとのことです。現在は、散策路が整備され、ベンチなども置かれ、市民の憩いの場となっています。

20191219_josui-walk_w_25.jpg

⑧ 名勝小金井桜境石【100選】
小川水衛所跡と同じところの両岸に小金井桜の西の境界を示す石柱があります。大正13(1924)年、サクラ博士として高名な三好学理学博士の調査研究により、小金井橋を中心に小川水衛所から境橋まで約6キロが国の名勝に指定されることになり、その指定区域を示す石柱です。東の境界石も境橋上流の両岸にあるそうです。小川水衛所跡の中に説明図があります。

20191219_josui-walk_w_27.jpg

参考資料:
小平市見どころ紹介

小川水衛所跡から下流に歩き、次の商大橋の先の路地を北に入ると平櫛田中彫刻美術館があります。今回はここがゴールです。