2017年10月20日

「晩秋の湧水源周辺散策」ご案内

11月5日(日)「国分寺まつり」の日に、国分寺市の企画による散策イベントがあります。
お鷹の道や真姿の池湧水群周辺の武蔵野の面影を残す湧水や水路を散策します。
午前10時~午後1時30分。小雨決行。所要時間約2時間30分。
詳しくはチラシをご覧ください。
往復はがきでの申し込み期限は過ぎていますが、まだ少し空きがあるようです。
直接、「緑と建築課」に問い合わせください。
国分寺市建設環境部 緑と建築課 電話 042-325-0111 内線352
posted by m.ono at 08:52| イベント情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

美化作業中止の連絡

10月14日(土)。本日の美化作業は、雨天のため中止になりました。
posted by m.ono at 08:11| 連絡・お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

用水のおかげで今の国分寺市の基盤が確立した

この表は、用水がどれほど国分寺の経済を支えてきたかを理解できるものです。
徳川幕府は12,000石の租税を新田開発から期待していたということです。

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国分寺に用水が敷設される以前は湧水で農業生産していたようですが、国分寺旧村2村(国分寺村と恋ヶ窪村))の納税高は158石でした。その後、国分寺用水開設(1657年)後、新田開発のための用水敷設(1729年)後と大幅に増収に向かい、多くの水路が敷設されて7年後の元文検地では1,914石にまで増加したのです。
新田開発は武蔵国の多摩郡(国分寺はここに属する)、入間郡、新座郡,高麗郡の82ヶ村で行われ、幕府が租税予算として新田開発石高12,600石あまりを期待したものでしたが、国分寺は元文元年の検地では1,914石の租税を納めており、幕府期待の納税分の15%を新田開発に寄与した8ヶ村で納めたことになります。ですから成績優秀な我がまち国分寺であったことが分かります。これも、分水が引かれその水で生活が出来たおかげなのです。しかも新田で生産された石高は、元文元年検地では、国分寺旧村(国分寺村、恋ヶ窪村)の国分寺崖線下集落が711石であるのに対し、新田開発された村々の総石高1203石という大幅な生産高の開きが出たのです。国分寺市が想定している江戸期の平均石高を見ても、新田開発が今の国分寺市が誕生する前から国分寺の経済を拡大させ、基盤を作ってきたことが明らかな数字です。これも用水があり、先人たちのたゆまぬ努力があったおかげと言えるでしょう。
posted by 佐藤敬臣 at 14:35| 砂川用水物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国分寺の用水路

国分寺市が国分寺村であった頃には何本もの分水が流れ、まさに水の豊かな生活空間がありました。初めての分水として野中新田分水が国分寺に流れて、今年で288年が経ちます。
しかし、昭和40年ごろと言われていますが、こうした用水を守り管理する用水組合が解散し、用水の使命がなくなり、それと共に多くの分水は止水され、今も市内に流れる用水路は野中新田分水(現砂川用水)のみとなりました。

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posted by 佐藤敬臣 at 13:59| 砂川用水物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新田開発に必要な用水路

1722年(享保7年)7月26日江戸幕府は日本橋に新田開発を奨励する高札を立てました。早速10月ごろから江戸牛込や現国分寺市に近い上谷保から新田開発の願書がだされ、10月8日に野中新田開発の願書が提出されています。こうした中、1723年(享保8年)5月4日北町奉行中山時春・南町奉行大岡忠相によって武蔵野台地新田開発の具体的方針がだされました。翌年には野中新田の地割渡しが始まっていますから、土地の開墾はこのころ開始されたのではないでしょうか。
しかし村としての組織が出来上がるのは、鳳林院の境内確定(1725年4月ただし創建は1713年)や愛宕神社の創設(1725年4月~6月ごろ)、妙法寺(詳細不明)、神明社(1725年勧進)を待たねばなりませんでした。
1723年6月に榎戸新田の開発が始まり、新田の開墾作業は急ピッチで進んだようです。その時の武蔵野台地は荒れ野であり、飲み水は玉川川上水か国分寺用水(現在の府中街道近くを流れていました)のみだったのではないでしょうか。これらの用水は新田開発に携わる人々のためのものではなく、東西元町の対雨水でしょうから、各地からの出百姓はどのように生活していたか考えさせられます。おそらく生活基盤として定住するために必要な生活用水を手にすることができたのは1728年(享保13年)に野中新田分水設置の届け出がだされ、翌年4月に野中新田分水が開通した後ということになります。およそ開墾の4年間彼らは水をどこから入手したのか分かりませんが、大変大変な苦労をしたであろうことは、想像に難くありません。

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posted by 佐藤敬臣 at 13:17| 砂川用水物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

美化作業(鎌倉パスタ駐車場脇)

砂川用水は工事のため流れが止まっています。
鎌倉パスタ駐車場脇の護岸と水路内の草刈りをしました。
夏の間にだいぶ伸びてしまいました。
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皆黙々と作業をして、すっかりきれいになりました。
作業の後は、すがすがしい気分になります。
コスモスの花が綺麗です。
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posted by m.ono at 22:37| 美化活動作業日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする