2024年06月14日

玉川上水&分水網遺構100選ウォーク(第13回)

「玉川上水・分水網を生かした水循環都市東京連絡会」が「市民が選んだ玉川上水と分水網の関連遺構100選」として2020年1月のシンポジウムで正式に選定された地点を実際に歩いています。
2024年6月13日の第13回は、千川上水の第1回、千川上水を、玉川上水本流との分岐の境橋から、清流復活事業区間の約半分の関前橋の先まで歩き、そこから、東伏見稲荷~下野谷遺跡~武蔵関公園を巡って西武新宿線の東伏見駅まで歩きました。
今回のルートです。

千川上水は、1696年(元禄9年)に将軍徳川綱吉により開削が命じられました。公の目的は、小石川御殿(綱吉の別荘)、湯島聖堂(幕府学問所)、上野寛永寺(徳川家菩提寺)、浅草寺(幕府祈願所)等への給水でしたが、綱吉の寵臣であった柳沢吉保の下屋敷の六義園内の池にも大量に引水されたとあります。
名前の由来は、分水口の近くが当時の仙川村で、そこを通したからということです。
その後、流域の農業用水としても利用されるようになりました。
明治になって、王子にあるいくつかの工場の工業用水としても使用されるようになりましたが、1971年(昭和46年)には、給水をやめ、上水としての使命が終わりました。
現在流れているのは、東京都の清流復活事業により、1989年(平成元年)に開渠部約5kmが下水処理水の活用により復活したものです。
千川上水遊歩道入口に設置されている説明板に清流復活の上水のマップがありました。
ご覧ください

参考資料:
千川上水(ウィキペディア)

① 千川上水取水口(境水衛所跡)
玉川上水の境水衛所跡のところに、現在の千川上水取水口があります。
以前の分水口は、境橋の少し上流側にありました。遺構が残っていますが、この季節は草が生い茂り見えません。
第4回ウォークの時のレポートに写真がありますので、ご覧ください

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② 清流復活の碑【100選】
取水口で分岐した千川上水は、五日市街道を暗渠でくぐると、開渠になり、五日市街道の上下線の間を武蔵野大学前まで流れて行きます。
開渠が現れる少し手前に、清流復活の碑があります。
周りがササ(タケ?)に覆われてしまっていて、下の部分が隠れてしまっていました。ネットで調べたら「トウオカメザサ」と出てきました。

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しばらく、千川上水沿いの遊歩道を歩きます。

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アジサイが咲いていました。

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③ 文字庚申塔
武蔵野大学正門の少し手前の歩道の脇に文字庚申塔があります。天明4年(1784)に当時の上保谷新田の入口に建立された、庚申塔です。前年の天明3年に浅間山の大噴火があり、飢饉が始まった年です。村の入口から飢饉が侵入しないようにとの村人の強い願いが込められた庚申塔だと考えられます。
説明板がありました。

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④ 石橋供養塔と庚申塔
武蔵野大の交差点を渡ると石橋供養塔と庚申塔があります。この場所は、千川上水と五日市街道が交差する場所で、古くから橋が架けられていましたが、天保12年(1841)に石橋に架け替えられたのを記念して石橋供養塔が建てられたとあります。
説明板がありました。

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⑤ 千川上水遊歩道【100選】
千川上水遊歩道に入ります。

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千川上水遊歩道を歩きます。

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関前橋を越えました。今回は、ここで千川上水から離れ、東伏見に向かいました。

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千川上水から離れた路地に色々な花が咲いていました。

ギンバイカが咲いていました。

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イヌホオズキです。

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巨大な柱サボテンに圧倒されました。よく見ると、上の方に花が咲いていました。

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⑥ 東伏見稲荷神社
東伏見稲荷神社に着きました。6月30日の大祓神事に向けて、茅の輪ができていました。

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東伏見稲荷神社の鳥居の前から石神井川に沿って歩きます。弥生橋から眺めた石神井川です。ここから南側の高台に登りました。

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⑦ 下野谷遺跡
下野谷遺跡に着きました。
今から5,000から4,000年前の縄文中期に石神井川流域の拠点となるような大規模な集落が約1,000年間にわたり存在した跡だそうです。石神井川の南側の高台に浅い谷を挟んで東西に集落があり、現在は、西側だけが、国史跡として、大変良く整備されています。
現地の説明板の記述です。当時の様子を想像した鳥観図もありました。
ここで昼食としました。

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石神井川に下りて、下流に向かって歩きます。

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コサギが水の中を歩いていました。水の中で足をぶるぶる振るわせて歩く姿は滑稽でした。小魚をびっくりさせて捕まえようとしているのでしょう。

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⑧ 武蔵関公園
武蔵関公園に着きました。富士見池という細長い池があり、池を1周するように遊歩道が整備されています。現在は、練馬区の公園になっていて、隣接して流れる石神井川が増水した時に水を流し込む調節池の機能を持っています。
池の入口に由来を示した説明板がありました。

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カイツブリが泳いでいました。

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参考資料:
武蔵関公園(ウィキペディア)
練馬区立武蔵関公園(練馬区のホームページ)
富士見池調節池(東京都建設局)

ここから東伏見駅まで歩いて、終了です。

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2024年06月12日

並木町公園の用水

仲間からいただきました。
並木町公園の脇を流れる砂川用水の護岸では、ヒマワリの芽がしっかりしてきました。

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ネジバナを見つけました。

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ヤブカンゾウの花芽も出てきました。

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2024年06月10日

茨城県民の森

用事のついでに茨城県那珂市にある茨城県民の森に行ってみました。

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歩き始めてすぐに目に入ったのは、マテバシイでした。房のように咲いているのは、雄花です。その間からまばらに飛び出ている紐のようなものが雌花です。

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森の中の道を歩きます。

ヘビイチゴの実がなっていました。

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ムラサキシキブの花が咲いていました。

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オカトラノオは、あちらこちらに群生していました。

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これは、葉の形から見ると、ヤマブキショウマかな。

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キツネノボタンでしょうか。葉の先が尖っているので、ケキツネノボタンかもしれません。

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ノアザミも至るところに咲いていました。

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クリの花が咲いていました。房のように伸びて目立つのは雄花で、雌花は雄花の付け根の部分にちょこんと付いている小さいやつです。

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ヒメジョオンは道のどこにも咲いていました。この広場は一面ヒメジョオンで埋まっていました。白い花がほとんどですが、薄紫色の花もありました。

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2024年06月08日

美化作業(ヤマモモ公園)

砂川用水は工事のため止水しています。
今日は、中流部の水路内と左側の護岸の隣地のフェンス間の部分の草をむしりました。暫くこの箇所の作業をしていなかったので、草が伸び放題になっていました。

作業前
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作業中
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作業後
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水路内の草をむしっていたら、土の中から黄色い紐みたいな生き物が現れました。気持ち悪い奴です。ネットで調べたら「コウガイビル」と言うらしいです。名前に「ヒル」と付きますが、血を吸うヒルの仲間ではなく、小型の生き物を食べる肉食生物です。

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posted by m.ono at 16:12| 美化活動作業日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月07日

吹上しょうぶ公園

花しょうぶまつりが開催されている、青梅市の吹上しょうぶ公園に行ってきました。
今年は開花が遅れているとかで、今日まで入場料が無料でした。明日から徴収するとか。それでも、結構きれいに咲いていて、人出もありました。

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公園の入口の池にスイレンが咲いていました。

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池の中から伸びているのは、ミズカンナです。

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これは、ムシトリナデシコでしょうか。茎の上部の葉の下にネバネバした液体を分泌する部分があるので、それに虫が捕まることがあるらしい。しかし、食虫植物ではありません。下から登って来るアリなどが、花に侵入するのをブロックしているという話があります。

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2024年06月06日

朝の散歩道で

ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)の花が咲いていました。花の咲き始めは、濃い紫色で、次第に薄くなり、最後は白色になるので、1本の木で2色咲いているように見えます。

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ハンゲショウがもう咲いていました。7月初めの「半夏生」の頃に葉が白くなって花が咲くので、「ハンゲショウ」だと言われていますが、かなり早いです。

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2024年06月04日

狭山池から狭山丘陵・六道山公園を歩く

5月29日に国分寺市にふるさとをつくる会の「多摩に歩く会」がありました。
JR八高線の箱根ヶ崎駅から、狭山池公園、郷土資料館・耕心館を回り、六道山公園の展望台から里山民家に下るルートです。ウォークマップをご覧ください。

箱根ヶ崎という地名がどういう由来でついたか不思議に思う方が多いかもしれません。郷土資料館の展示にある説明では「16世紀半ば頃の文書には「箱根賀崎」がみられ、これが最も古い記録」とあるだけで、由来については記載がありません。
箱根権現が祀られている「狭山神社」の由来の記述には「箱根大神は永承年間(1046-1053)源義家の奥州征伐の折、筥の池(狭山池)辺に陣営、箱根権現の霊夢に感じ、當地に勧請、凱旋の時に奉賽したと謂われる」とあります。
狭山池は昔、筥の池(はこのいけ)と呼ばれていたので、何らかのつながりがあるかもしれません。

箱根ヶ崎は、江戸時代には青梅街道と日光街道が交わる宿場町として栄えました。
郷土資料館に説明がありました。ご覧ください

前置きはここまでにして、ウォークに出発です。

箱根ヶ崎駅から北に向かうと、東京環状道路に出ます。少し行くと残堀川です。工事中なのは、洪水対策の放水路か何かを作っているのでしょうか。向こうに狭山池公園が見えます。

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残堀川を上流に向かって歩きます。

狭山池公園に着きました。狭山池は、現在は残堀川の水源の池ですが、その昔は繋がっていませんでした。玉川上水が開削された翌年の承応3年(1654)に玉川上水の助水とするために接続されました。説明板がありましたのでご覧ください。

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狭山池には、「蛇喰い次右衛門伝説」があります。公園の入口に、蛇に絡まれた次右衛門の石像がありました。

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狭山池は、三つの池に分かれています。
池の間の小道を通って反対側で出ました。「釣り池」には、釣り人が何人かいました。

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「釣り池」の縁を歩きました。

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狭山池公園を東に抜け、かたくりの里の中を通り抜けました。今は、カタクリの季節ではありませんが、山の西側の斜面全体にカタクリが群生していて、花が咲く3月末の頃には、大勢の人で賑わいます。

かたくりの里を抜けたところ、日光街道を北に行くと、郷土資料館耕心館があります。
郷土資料館の前庭にある、大ケヤキが迎えてくれます。樹齢300年以上だそうです。隣にある耕心館は、かつては豪農・細渕家の母屋でした。このケヤキはその庭に植えられていたものです。

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耕心館の庭は山野草園になっています。四季折々、色々な草花を楽しめます。咲いていた花は、この記事の最後に纏めて紹介します。

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郷土資料館の後は、いよいよ狭山丘陵に入ります。
狭山丘陵の西の端の西口広場から山の裾野を歩き、暫く歩いたところで、登りになります。

途中の展望広場で小休止。北西の奥多摩の山々を眺望できますが、左右に木が茂っていて、角度が狭くなっているのが残念です。

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更に登って、三角点広場に着きました。登りはここまで、あとはなだらかな道です。

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狭山懸橋を渡ります。この橋は、狭山谷という谷戸に懸かっていて、「狭山谷の天狗」という昔話が伝わっているそうです。内容はこちらをご覧下さい

少し行くと、「六道の辻」に出ます。
この場所は、古くから交通の要衝で、幾筋もの道がここで交わっていました。そこで、「六道の辻」と呼ばれるようになったそうです。「六道山」の名前の由来にもなりました。
庚申塚があります。写真は、2月末の下見の時のものです。
説明板がありました。ご覧ください

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六道山公園の展望台に着きました。

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展望台から下を見た写真です。広場のところどころにベンチがあって、ここで昼食になりました。

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展望台からの眺めは最高です。東側にはスカイツリーが見えます。西側には富士山が見えるはずですが、雲に隠れてしまい、残念でした。

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ここからは、尾根道を東に行き、猿久保から「里山民家」のある谷戸に下りました。
里山民家へようこそ」の看板が出迎えてくれました。里山民家は、東京都が荒れ果てていた谷戸の整備して、平成12年6月にオープンした施設です。都民の憩いの場や野山北・六道山公園ボランティアの活動拠点施設として活用されています。

里山民家の上の水田は「岸たんぼ」と呼ばれ、ボランティアが稲を大切に育てています。

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里山民家の母屋の中で一休み。今日の行程は、ほぼ終了です。

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ここから徒歩10分程の「岸バス停」からバスに乗って帰路につきました。

「岸」と言えば、江戸時代の初めに、砂川の新田開発に乗り出した村野三右衛門と小川村の開発に乗り出した小川九郎兵衛は、いずれも岸村から出ています。
武蔵野の新田開発のパイオニア2人が、同時期に出現した、岸村はどんなところだったのかと思いを馳せながら、歩きました。

最後に耕心館の山野草園で見た花を紹介します。

イワタバコ(岩煙草)です。通常の花の色は 紅紫色です。白い花もありました。白花が一足早く盛りを迎えているようです。名前は、日の当たらない湿った岩場に生え、タバコに似た形の葉だからだそうです。

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チャボシライトソウと、名札にありました。小型のシライトソウの意味です。

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ハマボッス(浜払子)です。海岸に生育する海浜植物。「払子」とは、お坊さんが儀式の作法で用いる、ハタキのような仏具のことです。

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八重のドクダミがありました。

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エーデルワイスが咲いていました。和名は、セイヨウウスユキソウ(西洋薄雪草)ですが、エーデルワイスと言えば、アルプスを思い浮かべますね。

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コキンバイと、名札にありました。バラ科ですが、キンポウゲ科のキンバイソウ(金梅草)に似ていて、小型だから、コキンバイ (小金梅)だそうです。

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キョウガノコ(京鹿の子)が咲いていました。シモツケソウの古くからの栽培種です。花の様子が京都の絞り染め「鹿の子絞り」に似ているからだそう。

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posted by m.ono at 23:00| 歩く会参加日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

臨時・美化作業(ヤマモモ公園)

ヤマモモ公園の広場の草は、5月の定例作業で刈りましたが、1ヶ月足らずで結構伸びてしまいました。今日は臨時で、2台の草刈機で刈りました。

作業前
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作業中
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作業後
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ヤマモモ公園のアジサイは見頃を迎えています。

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2024年05月30日

並木町公園の用水

仲間からいただきました。
並木町公園脇を流れる砂川用水の護岸に、今年もコキアを植えました。
秋の箒作り評判が良いそうです。楽しみです。

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posted by m.ono at 11:53| 日々の砂川用水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月29日

『五日市憲法草案』ゆかりの地を巡る

5月21日に国分寺市にふるさとをつくる会の「ふるさとの自然と歴史を訪ねる会」がありました。今回は、武蔵五日市の自然を楽しみながら、「五日市憲法草案」ゆかりの地を巡るウォークでした。

「五日市憲法草案」は、明治14年に深澤権八と千葉卓三郎らが中心となって起草した私擬憲法草案です。昭和43年に、当時東京経済大学教授であった色川大吉氏らによって、深沢家の土蔵から発見されました。「司法、立法、行政の三権分立が明確に規定され、国民の権利に多くの条文がさかれているなど、自由民権思想に溢れた非常に民主的な内容であり、他の民間草案の中でも屈指」だということです。

武蔵五日市駅の北側から北西約3kmのところにある「深沢家屋敷跡」に向けて歩きます。あきる野市のホームページにガイドマップがありました。ご覧ください

武蔵五日市駅の近くから、「深沢家屋敷跡」の近くの「深沢小さな美術館」まで、森の妖精ZiZiが案内してくれます。

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ここから「深沢小さな美術館」まで1本道、植物観察をしながら歩きました。
クリの花はまだ蕾です。ひょろっと伸びて咲くのは雄花。雌花は葉の付け根にあってあまり目立ちません。

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ところどころにZiZiがいて、案内してくれます。

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ヤマグワの実が赤くなってきました。

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ウリノキの花が咲いていました。6枚の花弁が反り返り、雌しべと雄しべが飛び出していて、ユニークな形です。

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スギの、雌花と雄花と実が1本の木に同時についていました。
花は今年の残りか来年の準備か、実は昨年の残りか。何だかよく分かりません。

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クリかなと思う木に虫こぶが沢山付いていました。
ネットで調べたら、「クリタマバチ」の虫こぶのようです。以下は、ホームページの記載引用。かなりの厄介ものらしい。
「クリタマバチは戦前に日本軍が中国から持ち込んだクリの木について来たものとされ、クリの新芽に卵を産み付け、幼虫はふ化すると新芽の中に潜り込んで虫こぶを作ります。虫こぶはクリの雄花や雌花がつくところにできるので花が育たないので栗の実がならず、クリの農家にとっては恐ろしい害虫なのだそうです。
クリタマバチを撃退する方法として、耐性品種や防虫剤が使われましたが、十分な効果が無く、今は天敵のチュウゴクオナガコバチを中国から導入して放虫して効果を上げているようです。」

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丁度中間地点の穴澤天神社で休憩です。

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深沢小さな美術館」に着きました。ZiZiが出迎えてくれました。

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深沢小さな美術館は、造形作家の友永詔三氏が、小さな古民家を自身の手で改築した、手作りの美術館です。カフェが併設されていて、ゆっくりくつろげます。
美術館を見学して、カフェで昼食をとりました。

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木の枝にモリアオガエルの卵が泡のように付いていました。下は、大きな鯉が泳ぐ池です。おたまじゃくしの運命やいかに。

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友永詔三氏は、NHK連続人形劇「プリンプリン物語」のキャラクターを製作したことで有名です。

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「深沢家屋敷跡」は、ここから歩いてすぐです。ここの土蔵から「五日市憲法草案」が発見されました。
説明板がありました。こちらをご覧ください
母屋は、小金井市の思耕園に寮として移築されたそうです。写真がありました

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白い小さな花が木の枝に咲いていました。カナメモチのようです。

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ここからは、元の道を戻ります。
途中にセッコクが咲いているのに気づきました。生えている木の幹に付いているのは、初めて見ました。

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中学校の校庭の端に「五日市憲法草案碑」があります。
説明板がありました。こちらをご覧ください

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向かい側の市役所五日市出張所の入口には、萩原タケ女史像があります。
萩原タケ女史は、この地で生まれ、日本看護婦協会初代会長を務め、第一回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞した、郷土の偉人です。

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五日市出張所の3階には郷土の歴史について展示があります。
見学してから、「五日市勧能学校跡」に行きました。
勧能学校は、明治5年の学制発布に伴い、五日市村に作られた学校で、現在の五日市小学校の前身です。今は、東町太子堂があるだけで、面影はありません。
説明板がありました。こちらをご覧ください

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posted by m.ono at 22:19| 歩く会参加日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする